|
【教室に行くきっかけ】
たまたま図書館で、先生の「食べ物を変えるとからだも運命も変わります」を貸りたことがきっかけです。一度貸りて返却をしたのですが、どうしてもまた読みたくなり、私は二度お貸りしました。どうして二度も貸りようと思ったのか…考えてみたのですが、私は食べ方も勿論ですが考え方の部分だと感じています。
体にいいレシピの本はたくさん読んできましたが、考え方について書かれている本はあまりなく、何度も読ませていただきました。先生自身も病気に苦しんだからこそ、この本の中に説得力を強く感じました。一番最後のページに先生のお料理教室が掲載されていて、しかも自宅から車で10分で行けるところにあることに驚きました。何かご縁を感じたのですぐに先生にメールをしたところ、会ったこともない私に返信をくださったことにも驚きました。若い頃から様々な病気になり、今も不調を抱えているので是非通いたいと思っていたのですが、仕事を2つ掛け持ちしていたので曜日が合わず、その時はパン教室か精進懐石に行く予定でしたが、手に不調が出て仕事を1つ辞めたこともあり、基礎科に通うことになりました。
【教室に通う前の食事】
朝はコーヒー、パン、バナナ、ヨーグルト、昼はパスタやパン、うどん、果物、夜は白米、味噌汁、肉や魚、煮物(かなり砂糖を入れていました)
甘い物や果物も好きで間食もよくしていました。主に、バターをたっぷり使ったクッキーやケーキ類、砂糖たっぷりのゼリーやババロア、アイスにチョコレートなどなど。体重の割に体脂肪が多めで、過去には糖尿病予備軍と言われたこともありました。お料理が好きなので、手作りのおやつ、パンも子供のためとせっせと作っていたのですが、自分も一緒になりよく食べていました。
また、お酒も大好きで毎日のように350mlのビールやハイボール、サワーなどを2本以上、週末になると自分へのご褒美と言って、夫とワインをグビグビと飲んでいました。しかし43歳頃突然、三叉神経痛になり、その痛みが半端なく痛くてお酒を飲んで痛みを和らげていました。本当はこの行為が神経を更に刺激する悪循環だと知ったのが、随分経ってからでした。この病気のこともあり、アルコールは控えるようになりました。
【教室に通いはじめてからの食事】
朝はコーヒーやパンから梅醤番茶、玄米黒豆ご飯、自家製ヨーグルト(砂糖なし)
昼は玄米黒豆ご飯、味噌汁、家族に作っているお弁当の残りやそばを食べるようになりました。
夜は玄米黒豆ご飯、けんちん汁、教室で習ったひじきやきんぴら、魚や肉は主食を超えない程度に食べるようになりました。
また、干椎茸と昆布で出汁を作り冷蔵庫にストックするようになりました。この出汁は簡単に作れるのに、深い味でどんなお料理にも使える万能出汁だなと感じます。
これを機に圧力鍋を購入したのですが、これを使って炊く玄米はもちもちで本当に美味しかったです。玄米クリームやお粥も簡単に圧力鍋で作れるので、とても助かりました。
ただ、食事を変えてからも甘い物の誘惑にはなかなか打ち勝つことが出来ずいましたが、アイスやバターを多く使った物から和菓子へとシフトしていくように心がけました。あんこ(砂糖控え目で白砂糖は使わない)を作り、白玉団子と一緒に食べたりお汁粉などを作り、なんとかしのいでいるような状態。お酒は辞められないので、週に一度1本と決めてちびちびと飲んでいました。果物も好きで食べたいのですが、量を少なくして家族に食べてもらうようにしました。
【食事を変えて変わったこと】
玄米とけんちん汁だけの食事を2週間実践すると、あきらかに便通の様子が変わりました。もともと便通は良い方だったのですが、この食事にしてからは便のキレが違うのです。スッキリできるという言葉があっているのかなと思うのですが、残便感を感じないこのスッキリ感は、はじめての体験でした。
また、私は胃腸があまり強くないのか節度を超えて食べてしまうと下痢をおこすのですが、そういったことが一際なくなったので、外出する時に下痢を心配することがなくなったことも嬉しい変化でした。
また、私はヘバーデン結節という、手に痛みが出る疾患もあり1つ仕事を辞めたのですが、食事を変えてから痛みが出なくなりました。甘い物やお酒もかなり関係があったように感じます。
またお肌も透明感が出てスベスベツルツルに変わっていきました。
特にけんちん汁はどうしても食べたくなることが度々あります。きっと、こういった食事を自分の体が欲していたのだと感じました。きんぴら、ひじきれんこん、かぼちゃコロッケは家族にも好評でとても美味しいです。今まで、きんぴら、ひじきといえばたっぷりのお砂糖、みりんを入れていましたが、教室で習ったレシピは砂糖が入っていないのに、コクがあり深い味がしてやみつきになる美味しさでした。素朴なのにしみじみ美味しい、何度食べても飽きないのです。
【教室に来て感じたこと】
はじめて先生にお会いする日はすごく緊張しました。どんな方なのだろう、本を書かれた先生に直接お会いできることがとても光栄に思いました。実際にお会いした先生は、とても華奢でロッククライミングをされているとはとても思えませんでした。でも、そのお声のハキハキした感じや、頭の回転の速さ、一目で生徒さんの人格まで把握してしまう観察力など、想像以上のお人柄なと感じました。
何より厳しい中にも優しさがお有りになる先生だなと思いました。
ここはお料理教室だと思っていたので、料理を作る前の授業がこれほどしっかりやることにはじめは驚き、戸惑いました。雑談であって雑談ではない先生と生徒さんの体験談、これこそがたくさんの学びとなりました。
中でも「具体的に具体的に人に伝えること」「その時自分はどう感じ、どう思ったのか」言葉に出してみること。
私も苦手な人がいるということで先生にそのことをお伝えすると、どんなところが嫌だと思ったのか具体的にと言われ、嫉妬深いところが嫌いと答えました。ですが私にも非があり、相手のプライドを傷つける言葉を言ってしまったことが相手に対する思いやりのなさだと先生からご指摘されました。ただ嫌ってばかりの感情が相手側の気持ちになると相手を許す気持ちに変わること、好きにはなれない人かもしれませんが、その人が穏やかに暮らせるように天にお任せしようという気持ちになれました。相手の心、立場が分かる人に人間関係の悩みはないと教えていただきました。私の人間関係の悩みは、実はここだったのかもしれないと感じています。考え方がいかに心に影響を及ぼし、それがストレスとなって体に表れる。健康とは心身共に健康なことなのだと改めて感じました。
また、お料理を作る時も驚きの連続でした。中でも先輩方の動きが皆さんスピーディーで段取りが良く、次に何をしたらよいかの導線がしっかり身についていてびっくりしました。後片付けをしっかりやること、食材を無駄にしないこと、台所周りの掃除の仕方、すべてが今までの私が実践してきていなかったことで、大変学びになりました。「物を大切にすることは自分を大切にすることよ」という先生の言葉が今でも忘れられません。
【自分自身を振り返って】
私は3人兄弟の真ん中で上に姉と年子の弟がいます。小さい頃から自己主張をすることが苦手で、あまり本心を言わない、態度にも出さない、親にもあまり甘えない(本当はもっと甘えたかったのかもしれません)、親の顔色を伺う、遠慮する、自分の中で溜め込む性格があるなと思っています。
以前の私は「よく気がつくいい子、いい人」というキャラクターで、こうだという自分の芯がなく、人の感情に流されやすく、気にしやすく、それがいつもストレスの原因となっていました。
自分の性格を多分によく知るきっかけとなったことが育児でした。人付き合いがあまり得意ではない私にとって、ママ友とのお付き合いは試練の連続でした。仲が良かったママ友さんと出掛けたりすることが、はじめは楽しかったのですが、次第にストレスに変わるようになり(教育方針の違いなどから)、相手の感情にすぐに流されるようになりました。嫌でも無理にお付き合いをしたり、いつもいい顔ばかりをしていた私はプチうつ状態になり、育児を放棄したくなるようなことも多々ありました。
どうしてそこから脱却できたかというと、自分自身のことをよく知るきっかけになる本と出会った事と、人から嫌われてもいいと思えたからだと思います。
いつもいい人でいなければいけないという間違った執着を手放し、私は私でいいと思ったこと、こういう私を私が全部受け入れること(自己肯定)、自分自身がHSPという繊細さんであることに本を読んで気づいたことがきっかけとなり、心が軽くなったことを覚えています。HSPは感性が過敏過ぎるため、人付き合いに疲れてしまったり人の感情に流されやすい反面、細かいところによく気がつくという長所もあるそうです。
今までは自分がどうしたいのか、何が好きなのかわからなく何となく生きてきた感じがありましたが、今は人の目を気にせず、人とは程よい距離感を保ちながら私らしさを生かして生きていきたいと思えるようになりました。この感情に至ったのが40歳のことでした。幼少期から40歳までずっと自分らしく生きてこれなかったのかもしれません。育児のおかげで大切なことを知りました。
教室に来て、他の生徒さんたちもこういった人間関係や家族のことで悩み、ストレスがたくさんあることを知り、その悩みストレスが病気にもつながっていることを教えてもらいました。考え方についてこれほどしっかり教えていただいたことははじめてで、先生には感謝しています。
【これからのこと】
前期の基礎科をあと1回に残すところまできた時に、虚血性腸炎という病気になり入院することとなりました。ここまで食事、考え方など教室で学ばさせていただき、少しづつ体調もよくなっているなと実感してきている時だったので、すごくショックでした。
先生にお電話をしたところ、今までだったらすぐに悪い反応が出なかったけれど、体が良くなってきてすぐ悪い物は悪いといってくれる体になったのだからと励ましていただきました。「絶対に治るから」という力強い言葉に、最近は少し緩みがちになっていた食生活を改めて反省し、気を引き締めて自分の体をもっと大切にしたいと思いました。
「天与の分限」という言葉…生まれながらにして食の分限が決まっているということを教室で知り、はじめは何で私はもっと食べたいのに!お酒も飲みたいのに!すぐに病気になってしまうの!と自分の体をすごく不服に感じていました。主人はたくさん食べても飲んでも何でもないのにと…。でも、与えられた体を慈しみ、今、ここに自分が生きていることに感謝し、もっと謙虚に生きていこうと思います。
これからの自分の人生の中で、先生に出会えたことは1つのターニングポイントだと思います。この教室での時間は、自分の生き方を見つめ治す大切な時間となり、ご縁をいただけた自分自身には、まだまだ学びがあると感じています。教室を開いてくださる先生に心より感謝しています。これからもよろしくお願い致します。
恭子から一言
ご自分でもおっしゃっているように、とても、繊細で、相手を気遣うこころやさしい方でした。
酒、甘いものが多い生活から、玄米菜食になり、数々の良い変化が出ました。
大きい便り、内臓からのお便りが、大便です。
これが、「岡田恭子のハッピーマクロビオティック教室」日東書院
の第一回目の講座にある、黒豆玄米ご飯とけんちん汁を2週間続けることで、皆さん、画期的に、持っている不調が改善されていき、皆さんびっくりなさいます。
病気の原因は、食べ方と考え方の間違いにある、ように、
この方も、考え方を、人から見ていい人、と言われることではなく、私は私でいい、と自己肯定できるようになりました。
恭子式マクロは、排毒が終われば、食べ方を変える、と伝えています。
この方も、半年たって、虚血性腸炎になってしまいました。
もともと持っていたものが、今まで、お酒、甘いものをたべていた付けが今出てきたと思います。
若い時、お酒も肉も甘いものも食べたいだけ食べても大丈夫、と思われる人でも、高年になってその付けが出てきます。
玄米菜食も、長年続けると、コロコロ便になります。
これは、ミネラル不全と、水分が足りない、蛋白質が足りない、ことが原因になってきます。
恭子式マクロでは、排毒が終われば、昭和30年代の庶民の食事が目安、と、つたえています。
この方も、五分搗き米にして、豆など植物性タンパク質を中心に、鶏のささみなどの動物性蛋白質も少量取り入れることをお勧めします。
ただし、お酒、甘いものは、腸炎を引き起こしますので、ひきつづきやめられることをお勧めします。
|